5年1組、2組それぞれの学級で「いじめ前授業」を実施しました。福島県弁護士会が主催するもので、子供たちの人権と命について深く考えることができた授業でした。新型コロナウイルス感染対応に配慮してくださり、講師として2名弁護士の安彦先生、鈴木先生が来校されお話をしてくださいました。
現職の弁護士の先生のお話は、実際に起こっている事例をあげながら分かりやすく話してくださり、一人一人の心に響く話でした。
一人一人の「振り返り」による感想を紹介します。
A児の感想
「私は、一年生のときに見て見ぬふりをしていたことを覚えています。今回のお話を聞き、私達でもいじめられている人を助けられるかもしれないと思いました。そして、一人でも自殺をしない人が増えてほしいと思いました。それから、いじめられている人にも、味方がいると言うことを教えてあげたいです」
B児の感想
「私は、普段あまり気にせず人に、「ばか」などの言葉を使っていたけど、何気ない言葉でも人を傷つけ手しまうことが分かりました。これから、人のことを考えた言葉遣いをしたいと思います」
C児の感想
「自分がもし被害者になったら、本格的にエスカレートする前に自分の気持ちを伝えようと思います。周りにいじめられている人がいたら、その子からのヘルプをしっかり受け止めて、自分で解決までいかなくても、大人の人に言って協力してもらうことが大事だと思いました」
D児の感想
「心の中のコップには、嫌なことを言われるとコップ一杯の水がたまるになってしまい、その水があふれ出て死にいたることもあるということがわかりました。友達のコップの水がたまっていたら、よく話を聞いて水を減らしてあげたいと思いました」










「いじめは、『いじめている人が悪い』『いじめられている人が悪い』『時と場合によっていじめられている人が悪い』どれだと思いますか。」
「前に自分がされたからやっていいという理由はなりたちません。どんなことがあっても、いじめは絶対にやってはいけないのです。言葉は、人の心を傷けてしまうとてもこわいものです。だから、相手のことを考えて行動することが大切なのです」
最後の弁護士の先生の熱い言葉は、子供たちの心の中に強く響きました。
醸芳っ子は、いじめはしません、そして絶対に許しません。
今日の給食の献立は、「ほっけの甘塩焼き、切り干し大根の煮物、なすの味噌汁、ご飯、牛乳」でした。切り干し大根は、冬の美味しい大根を北風で乾燥させたものです。食物繊維やカルシウムも入っています。美味しくしっかり食べて、残暑を乗り切っていきます。

今日の給食の献立は、「山菜うどん(ソフト麺)、牛乳、大学芋、からし和え」でした。大学芋は、さつまいもを油で揚げ、甘辛いタレと黒ごまをかけてあります。ビタミンC、カリウム、食物繊維が豊富です。秋へ向かって着実に進んでいますが、さつまいもの美味しい季節に近づいています。

全校集会では、始めに全国の下水道ポスターコンクールで入賞した児童の表彰をし、その活躍と頑張りを称賛しました。
その後、9月3日の要請訪問(学校訪問)でどの学年の子も本気になって学習していたことを褒めました。しかし、次の日もしっかりとどの学年も一時間一時間を大切に授業に取り組んでいたことが、もっと素晴らしいことと話しました。そこで、二宮尊徳の話をしました。
みなさんは二宮尊徳という人を知っていますか。この写真の人が、「二宮金尊徳」、昔は、「二宮金次郎」と呼ばれていてどの小学校にも銅像がありました。
今はこの銅像がある学校が少なくなり、金次郎が、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ないと思います。
二宮尊徳は、金次郎と呼ばれていました。金次郎は、江戸時代後期の天明7年(1787年)、今の神奈川県小田原市で生まれました。当時の二宮家は、2町(約2㌶)をこえる田畑を持つ裕福な農家でした。ところが、寛政3年(1791年)の夏、暴風雨のため川が氾濫し、二宮家の田畑もほとんどが土砂に埋まり、この時から二宮家の貧乏が始まりました。
13才の時に、父が亡くなり、金次郎は長男として、母・弟2人の一家4人の生計を立てるために、早朝には山で柴刈り、昼は農作業、夜は縄ないやわらじ作りに精を出しました。
15才の時には、母が亡くなり、その年の6月には洪水のために二宮家の田畑は再び荒れ果ててしまいました。
16才の時に、金次郎は伯父の家へ、二人の弟は母の実家に引き取られました。新しい生活が始まった金次郎は、身をたてるためには、学問よりほかにないと考え、深夜まで読書をすることが多くなったそうです。
そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです。
金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。それから始まったのが、写真にあるように、槙を背負い歩きながら本を読む姿だと言われています。
この小さい努力の積み重ねで金次郎は、叔父さんの家から独立し、実家の立て直しに取り掛かりました。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に戻すことができました。これを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。さらにその噂が広まり、今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、 その功績は江戸幕府からも認められ、66才の時には、幕府の領地である日光(今の栃木県日光市)のたて直しを行い、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
この小さな努力の積み重ねて結果を出す教えを「積小為大」といいます。
醸芳小学校の教えにも、同じような言葉があります。何でしょう。
「こつこつ とことん あきらめない」 という考えが、ここからきているそうです。
どうぞ、校長室前の二宮尊徳(金次郎)の銅像を見て今日の話を思い出し、自分の夢や希望に向かって積み重ねを大切にしてみてください。
今日は、二宮尊徳の話をしました。これで校長先生の話を終わります。




