令和3年度醸芳小運動会①~低学年の部、中学年の部、高学年の部が行われました!~
2021年9月19日 08時07分今日は、令和3年度運動会が行われています。秋晴れの絶好のコンディションの中で、子供たちが今までの練習の成果を十分に発揮して「最後まで 絶対にあきらめない 最高の思い出」をスローガンに掲げて頑張りました。
<中学年の部>
○ 徒競走100m
○ ダンス「大好き ニッポン」
○ 全員リレー
※「醸芳」の文字は、木戸孝允 書
R5.7.11 ドローンにて撮影
子供たちの活躍の様子をお届けします。応援をよろしくお願いします!
令和5年9月16日、醸芳小学校は創立150周年を迎えました!
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風薫る5月。晴天の下、運動会が開催されました。
今日は、令和3年度運動会が行われています。秋晴れの絶好のコンディションの中で、子供たちが今までの練習の成果を十分に発揮して「最後まで 絶対にあきらめない 最高の思い出」をスローガンに掲げて頑張りました。
<中学年の部>
○ 徒競走100m
○ ダンス「大好き ニッポン」
○ 全員リレー
令和3年度運動会は、台風の影響で9月19日(日)に延期となりました。子供たちも5月からの延期で、保護者の皆様も各家庭2名までという制限もありますが、折角楽しみにしていたためとても残念な気持ちでいっぱいです。
でも、日曜日は何とかできそうですので、何卒ご理解をいただきますよう宜しくお願いします。なお、明日の夕方まで雨模様となりますので、明後日の朝のグランドコンディションにより水取作業を行ってからの開式となります。
「最後まで 絶対あきらめない 最高の思い出」ができるように、運動会へ向け子供たちの心も最高潮です。どうぞ、保護者の皆様、ご期待ください。
学習課題「倍ってどういうことかな」で授業を行いました。導入で、オリンピックのメダルの数の話から、「倍」の数学的な用語を使いスムーズに学習に入ることができました。今回、「除法を用いて倍を求めたり、倍の意味をとらえて説明したりすること」を本時のねらいとしました。そのため「子クジラの体長は3m。親クジラの体長は15m。親クジラの体長は小クジラの体長の何倍でしょう」という問題を式で求め、言葉で説明をしなければならず答えは分かっているものの「もとにするものを1とみる」という考え方をするところが悪戦を強いられました。
今回の指導要領で新しく入ってきた単元で、5年生の割合へと発展していく単元であるため扱い方も難しい単元ではないかと思われます。桑折町こども教育課指導主事 中村利幸先生、宍戸広子先生から算数科の話合いの共有場面での効果的な支援の在り方、学力差に対応した授業展開の在り方、めあてとまとめの整合性、振り返りの重要性について、ご指導をいただきました。これからも、日々の授業を大切にして、本物の学力を身に付けさせていきます。
また、ICTを活用した授業研究も同時に行っています。今回も密を避けるために、オンラインで授業を参観できるように会場を設置しました。3方向からの画面で見ることができ、子供たちや教師の授業の流れも把握することができました。11月の授業公開へ向け、準備も着々と行っています。
今日の給食の献立は「麦ご飯、メンチカツ、大根サラダ、チキンカレー、牛乳」でした。カレーにメンチカツがついている勝利を意識したメニューを給食センターで考えてくれました。
明後日9月18日の運動会は、これでスタミナもバッチリです!
~ 醸芳小学校 創立148周年の歴史 ~
今日9月16日は、私たちの醸芳小学校の創立記念日、つまり学校ができた日です。醸芳小学校は、今年で創立148周年をむかえました。
今から149年前の明治5年に、明治政府から、それまでなかった小学校を日本中につくるよう命令が出されました。
その頃、桑折には、八つの寺子屋がありましたが、それをまとめれば新しいかたちの学校になると考えた矢吹琳堂(りんどう)、深沢久之丞、高田常松、氏家伊平衛さんたちが力を出しあい「学(がく)知(ち)寮(りよう)」という学校を無能寺につくりました。
そして次の年に、矢吹琳堂さんが、自分のお金で、今の体育館の三分の一ぐらいの大きさで、その頃めずらしい2階だての校舎をつくり、「桑(こ)折(おり)小学校」という名前で107名の児童で落成式をあげたのが明治6年9月16日でした。
それ以来この日を創立記念日として学校では大事な行事が行われる日になっています。この校舎の模型が、現在も大切に保存されています。
明治9年6月に、その頃、さかんに銀がほり出されていた半田銀山に明治天皇がおいでになりました。瀬ノ上の宿におとまりになりましたが、銀山への往復の途中3回も、わたしたちの学校でおやすみになりました。
その頃、今の町長さんにあたる戸長の“氏家喜四郎”さんが、明治天皇のおともをしてこられた木戸孝允というえらい人にお願いし、現在、学校の宝になっている「醸芳」という字を書いていただきました。
桑折の人々はたいへん喜び、大正2年9月に学校の名前を「桑折 醸芳 尋常高等小学校」とかえ、この学校をどこにも負けない立派な学校にしたいと考え、その頃めずらしかったオルガンを買ったり、伊達郡では初めてという、ストーブを教室に入れたり、ピアノをそなえつけたりしました。
このような努力もあり、文部大臣や今の県知事にあたる人々が何度も学校を訪れ、見学したり、立派な人を表彰したりしてくださいました。
その後、西町に校舎がつくられましたが、その頃たいへんめずらしい運動場のある立派なものでした。しかしこれも狭くなり、今の運動場のある場所に建てかえられました。
そして昭和43年から昭和45年1月までの2年がかりで今の校舎に建てなおされました。
平成14年度に地域交流センターとして立派な体育館も完成し、平成15年度は創立130周年にあたり、校庭の芝生化が行われました。
平成25年度には創立140周年、平成30年度に創立145周年を迎えました。
そして、本日創立148周年目を迎えました。多くの方々の支えにより、本校は伝統と歴史のある素晴らしい学校として教育活動を展開することができています。
節目としての150周年まで、あと2年となりました。先輩方が残してくださった伝統の重みを再確認しながら、明日からの教育活動に真摯に取り組んで参ります。今後とも、保護者の皆様、地域の皆様方のご理解、ご協力を宜しくお願いいたします。
<伝説の体育の山(醸芳ランド)>昭和45年に作られる
<全校生がたくましくなるように見守る「隼の像」 大田良平氏 創立100周年寄贈>