大切な言葉

一日一言 教育理念

半学半教

慶應義塾 精神の一つ


半学半教

 

教える者と学ぶ者との師弟の分を定めず、先に学んだ者が後で

学ぼうとする者を教える。

教員と学生も半分は教えて、半分は学び続ける存在という精神。

 

この理念は、これからのAL深い学びに通じていると思います。

小学校時報10より 大切な考え


小学校時報10 巻頭言 抜粋

その中に、私は折に触れて思い出し、考えさせられ、
今も大切にしている言葉があります。
それは、私が二週間後に教職に就くという直前の大
学の卒業式での学長で、教育学者であった橋爪貞雄
先生の式辞の中の言葉です。
大学を卒業してからこれまで、多くの艱難を乗り越えら
れてこられたのも、橋爪先生のお言葉があったからこそ
だと感謝しています。

「第一に諸君は有為な教育者となられることを望んでお
られるに違いありません。
そして、教育者は実践家であるべきです。我が身を傍
観者となして物事を批評するのは、仮にその批評が
誤りでないにしても実践的教育者のとる道ではありま
せん。自らことにあたり、試みては失敗し、失敗して
は再び試み、悪戦苦闘を繰り返しつつもなお初期の
目的を十分達成することのできないという嘆き……
それは教育実践家の宿命であります。

第二に諸君に申し上げたいのは、自分自身を既に
ある程度教育者として準備のできたものと過信しな
いこと……諸君の未完成は偉大なる未完成であり
ます。同時に諸君は自らの未完成さを常に胸に秘
め、完成と成熟に向けて一歩一歩静かな努力を続
けていただきたい。」

ありがとう

11・12月の詩

こどもの夢の「青い窓」584号より引用

P5 小学4年生の作品

 

「ありがとう」

 

「ありがとう」

そう言うだけで

あいてがわらってくれる。

「ありがとう」

そう言われただけで

わたしはうれしくなる。

「ありがとう」

しゅくだいをがんばったわたしに

言ってみる。

そしたら

もう一人のわたしが

わたしをほめてくれたみたいでうれしい。

またがんばろうって思った。

「ありがとう」は

まほうの言葉

わたしに

だれかさんに

たくさん言おう。

「ありがとう」

 

大切なことだと思います。

ありがとうといってもらえること

ありがとうをいえること

 

自分

山本有三 路傍の石より

 

たった一人だけの自分を たった一度だけの人生を

本当に生かさなかったら 人間に生まれてきたかいが

ないじゃないか。

 

 

 

あとから来る者のために

坂村真民一日一言より

 

あとから来る者のために

 

あとから来る者のために

田畑を耕し

種を用意しておくのだ

山を

川を

海を

きれいにしておくのだ

ああ

あとから来る者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

 

(92歳作)

 

消えないもの

坂村真民一日一言より

 

 

消えないもの

 

 

消えないものを

求めよう

 

消えないものを

身につけよう

 

消えてゆく身だけれど

消えないものがある

 

それは愛

それは真心

 

 

あなたの仕事

東井義雄先生一日一言より

 

あなたの仕事

 

書いた字にも

 

そうじの跡にも

 

しぼったぞうきんにも

 

仕事のひとつひとつに

 

あなたが満ち満ちている

 

そういう仕事をねばり強く

 

やり続けることのできる人

 

 

 

掃除の心

東井義雄先生一日一言より

 

掃除の心

 

掃除の心をちゃんと持っている子

 

掃除に心を入れてできる子は

 

中学に行っても

 

世の中に出ても

 

絶対にまちがいない。

 

 

 

耳を育てる

東井義雄先生一日一言より

 

 

耳を育てる

 

子どもが

「はてな?」

「なぜかな?」

「こうかもしれないぞ」

「いや、まてよ、これはちょっとおかしいぞ」

という顔をするとき、心と体を「耳」にし

はじめたときと考える。

その心と、耳の穴を広げる仕事、

これこそが学習を育てる仕事なんだと考える。

「問い」を育てること、それが「耳」を

育てることだと考える。

 

 

聞くということ

東井義雄先生一日一言より

 

 

聞くということ

 

 

聞くということは

 

相手の存在を大事にすること

 

聞くということは

 

相手を理解すること

 

 

書くということ

東井義雄先生一日一言より

 

書くということは、

 

自分を客観化することである。

 

したがって、

 

自分を、自分にも、人にも

 

見えるようにしていくことである。

 

 

 

書くということ

東井義雄先生一日一言より

 

書くということ

 

書くということは、考えるということである。

したがって、自分の考えを築き上げていくことである。

そして、書いている中に、

その考え不足や未成熟の考えが成熟してくる。

書きながら考え、考えを深め、高め、

はばのある確かのもに育てあげることができる。

 

 

書くつらさ

東井義雄先生一日一言より

 

書くつらさ

 

書くと言うことは、自分を責めていくこと

 

だからつらいのはあたりまえ。

 

 

「書く」

東井義雄先生一日一言より

 

 

「書く」

 

「書く」というしごとは

 

ひとりひとりに属するしごとだから

 

どの子も学習の目をさまさないわけにはいかない。

 

 

 

 

書くということ

東井義雄先生一日一言より

 

書くということ

 

書くということは、モヤモヤしたものに

 

形を与えることである。したがって、不

 

確なものを確かなものにしていくことで

 

ある。

 

書くということは、経験が整理されるこ

 

とである。したがって、経験が生きたも

 

のになり、意味を持ったものになる。

 

 

 

子と親

東井義雄先生一日一言より

 

子と親

 

仏さまは、親に子どもを恵んでくださる

 

のではなく、この子にはどうしてもこの

 

親が必要だという親を、子どもに遣わし

 

てくださるのではないか。

 

 

 

十年先

東井義雄先生一日一言より

 

十年先

 

志を立てるということは、生活現実に

 

密着した決断である。それは、生き方、

 

何を目ざしてどのように生きるかとい

 

う現実との取り組み方が問題となる。

 

それができると「ぼくの十年先を見て

 

ください」ということにもなるだろう。

 

 

志を立てるのに大きな教育力になるの

 

は、親や教師の現実への取り組み方、

 

生き方である。

 

 

 

 

苦しいこと

東井義雄先生一日一言より

 

苦しいこと

 

苦しいこと

苦しいことがやってきたとき

それを泣きごとのタネにして

自分をよけいに

不幸にしてしまう人がある

そういうことにであったおかげで

こんな大切なことに気づいた

こんなすばらしい世界があることに

目覚めた、と

自分を太らせ 深め

広げていくタネにする人がある