年頭にあたり歴史を紐解く2 今も農地に欠かせない水を供給する西根堰

 昨日に引き続き、『沿革誌 伊達郡伊達崎村』(1954年・昭和29年12月発行)から、西根堰の部分を掲載します。

  一 元伊達崎村(大字伊達崎)

 天正18年(365年前)、伊達政宗、豊臣の勢いに服し、豊臣の家臣蒲生氏郷の所領となり、その子秀行慶長3年(357年前)下野国宇都宮に移り、上杉景勝之に代わり、その頃西根郷40ケ村の支配者佐藤新右衛門家忠は西根堰開鑿の事業を起こし、元和4年(337年前)3月に着手して下堰を工築、続いて古川善兵衛重吉はさらに上堰の工を起こし、寛永2年(330年前)3月竣工した。この両堰は当地方の殖産興業に貢献する所極めて大にしてその徳沢を感謝して西根神社に祀る。

 <解説> 『桑折学のすすめ ~郷土愛をはぐくむために』から (P52)

西根堰がつくられた背景

 上杉家は会津、置賜、伊達・信夫の120万石でしたが、関ヶ原の合戦で西軍に味方したため、徳川家康によって米沢・伊達・信夫の30万石に減封されました。しかし、家臣5千人をそのまま召し抱えたために藩の財政はとても厳しく、新田開発で耕作地を増やし、年貢を確保しなければなりませんでした。そのために必要だったのが用水路であり、西根堰が開削されることとなりました。

※ 一昨年12月にアフガニスタンで亡くなられた中村哲医師の番組が昨年12月に放映されました。中村哲医師は,アフガニスタンに27kmの用水路を建設して人々の暮らしを支え、アフガニスタンの人々から敬愛されています。昨年伊達崎を潤す下堰をたどる中、用水が水田だけでなく桑折町の主要な作物である桃の栽培にも使われていることを知り、西根堰の大切さを改めて感じたところです。先人の努力に感謝です。

  西根堰見学 4年生

 昨年12月16日、雪の中西根堰を見学してきました。荒天の中お世話いただいた水土里ネット石川様、大変ありがとうございました。

 

 昨春の西根堰(下堰)