こんなことがありました!

148周年目の創立記念日を迎えました!

~ 醸芳小学校 創立148周年の歴史 ~

 今日9月16日は、私たちの醸芳小学校の創立記念日、つまり学校ができた日です。醸芳小学校は、今年で創立148周年をむかえました。

 今から149年前の明治5年に、明治政府から、それまでなかった小学校を日本中につくるよう命令が出されました。

 その頃、桑折には、八つの寺子屋がありましたが、それをまとめれば新しいかたちの学校になると考えた矢吹琳堂(りんどう)、深沢久之丞、高田常松、氏家伊平衛さんたちが力を出しあい「学(がく)知(ち)寮(りよう)」という学校を無能寺につくりました。

 そして次の年に、矢吹琳堂さんが、自分のお金で、今の体育館の三分の一ぐらいの大きさで、その頃めずらしい2階だての校舎をつくり、「桑(こ)折(おり)小学校」という名前で107名の児童で落成式をあげたのが明治6年9月16日でした。

 それ以来この日を創立記念日として学校では大事な行事が行われる日になっています。この校舎の模型が、現在も大切に保存されています。

 明治9年6月に、その頃、さかんに銀がほり出されていた半田銀山に明治天皇がおいでになりました。瀬ノ上の宿におとまりになりましたが、銀山への往復の途中3回も、わたしたちの学校でおやすみになりました。

 その頃、今の町長さんにあたる戸長の“氏家喜四郎”さんが、明治天皇のおともをしてこられた木戸孝允というえらい人にお願いし、現在、学校の宝になっている「醸芳」という字を書いていただきました。

 桑折の人々はたいへん喜び、大正2年9月に学校の名前を「桑折 醸芳 尋常高等小学校」とかえ、この学校をどこにも負けない立派な学校にしたいと考え、その頃めずらしかったオルガンを買ったり、伊達郡では初めてという、ストーブを教室に入れたり、ピアノをそなえつけたりしました。

 このような努力もあり、文部大臣や今の県知事にあたる人々が何度も学校を訪れ、見学したり、立派な人を表彰したりしてくださいました。

 その後、西町に校舎がつくられましたが、その頃たいへんめずらしい運動場のある立派なものでした。しかしこれも狭くなり、今の運動場のある場所に建てかえられました。

そして昭和43年から昭和45年1月までの2年がかりで今の校舎に建てなおされました。

 平成14年度に地域交流センターとして立派な体育館も完成し、平成15年度は創立130周年にあたり、校庭の芝生化が行われました。

 平成25年度には創立140周年、平成30年度に創立145周年を迎えました。

 そして、本日創立148周年目を迎えました。多くの方々の支えにより、本校は伝統と歴史のある素晴らしい学校として教育活動を展開することができています。

 節目としての150周年まで、あと2年となりました。先輩方が残してくださった伝統の重みを再確認しながら、明日からの教育活動に真摯に取り組んで参ります。今後とも、保護者の皆様、地域の皆様方のご理解、ご協力を宜しくお願いいたします。

<伝説の体育の山(醸芳ランド)>昭和45年に作られる

     <全校生がたくましくなるように見守る「隼の像」 大田良平氏 創立100周年寄贈>